2021.5.3~4 室堂乗越から雪の剱岳&奥大日岳を見る
剱御前転じて 室堂乗越から雪の剱岳&奥大日岳を見る
日 程:2021年5月3日(月)~4日(火)
参加者:堤(L) 福井(SL) 松尾 渡辺綺子 吉岡
5月3日(月)吹雪
新宿6:28発(あずさ71号)→松本9:38着→大糸線9:55発→信濃大町10:54着→
バス11:35発→扇沢12:15着→13:00発アルペンルート→14:25室堂着
15:00室堂ターミナル→15:33みくりが池温泉着→15:53発→16:42室堂着→ホテル立山泊
2日に富山側から室堂に行く予定だったが、終日雨の予報の為3日出発に変更する。直前の変更の為、富山側からのアルペンルートは満席のため、長野側から室堂に行く事にする。2日は悪天候でアルペンルートのバスが運行していなかったので3日に変更して正解と喜んでいたが、とんでもない1日となったのでした。
室堂バスターミナルで登山届を提出、明日登る剱御前についての注意事項はあったが、今日の天気についての注意事項はなし。外は風が強く視界も悪いが、観光客も歩いているし、宿泊先の雷鳥沢ヒュッテは1時間あまりで着くので、吹雪の中、出発。
しばらくは視界もあり、トップの私は先を歩いている若者を頼りに必死について行く。しかし、ふと後ろを振り向くと誰もいない。トップの姿が見えなくなり方向が分からなくなって来た道を戻ってしまったとの事。みくりが池温泉で合流出来てホットしたが、みくりが池温泉は満室で宿泊出来ないとの事、雷鳥沢ヒュッテに迎えを頼むが断られ、室堂に戻るしかないと言われてしまった。雷鳥沢にテントを張る人たちもこれ以上は危険と続々と戻ってきた。室堂に戻る10人位のグループが出来、単独の男性がトップを歩いて遭難寸前の私達を引っ張ってくれて助かりましたが、それでも途中、道がわからず立ち往生。室堂から来た人と会って、やっとこっちが室堂方面とわかる状況でした。室堂からみくりが池までの道を往復2時間かけてやっとの思いで着いたのでした。
ヒュッテのおじさんは「竹ポールがあるから迷うことない。雷鳥沢ヒュッテまでの道で遭難した人なんていない」と言っていたけど、遭難するかと思った!!
バスの時間は終わってしまったし、今日はバスターミナルで野宿かと思ったが、ホテル立山が運よく空いていて、背に腹は代えられず大枚をはたいて豪華ディナーを食べ快適な一夜となりました。そんな訳で3日の写真は一枚もありません。
5月4日(火)晴れ
8:00室堂出発→8:14みくりが池温泉→8:31雷鳥荘→雷鳥沢ヒュッテ→10:40室堂乗越→12:00雷鳥沢ヒュッテ→12:39雷鳥荘→13:12みくりが池温泉→13:29室堂→16:00アルペンルート発→17:07立山着→17:30電鉄立山発→18:38電鉄富山着→19:08富山発かがやき38号→21:20東京着
6:00
昨日とは打って変わって快晴。松尾さんとみくりが池温泉近くまで歩いてみる。晴れていると何でもない歩きやすい道。みくりが池温泉もはっきりと見える。昨日、どこで分からなくなったのか?
改めてホワイトアウトの怖さを感じる。
8:00 昨日の現場検証を兼ねて雷鳥沢ヒュッテまで向かうことにする。
雷鳥荘からヒュッテのテント場が良く見える。すごい数のテントだ。剱御前に登る人が遠目から見える。結構急な登りで良く見ると途中スキーで滑っている。私たちには厳しそうにみえるので、剱が見える室堂乗越にコースを変更する。
現場検証の結果は、ヒュッテまでは竹ポールの間隔も広く下り斜面は何も見えないと地獄谷に落っこちてしまいそうで、昨日ここまで来ていたら間違いなく遭難していたとみんなで確信しました。
10:40室堂乗越まではトレースがついていて、道をつけてくれた人に感謝しながら快適に登りました。眼の前に奥大日岳がで~んとそびえ、きらきらと輝いて剱岳より眼を奪われてしまいました。剱岳はどれ?なんて言う始末。
剱御前からだともっと迫力ある剱岳だったかも知れません。
12:00 来た道を戻り、雷鳥沢ヒュッテで昼食。途中、すれ違った人の話だと3日の12時頃までは、雄山も見えてたらしいが、それでもヒュッテまで行くのはかなり大変だったらしい。私達は3時過ぎだったので一番悪天候の時に出発したようだ。
13:30 室堂に戻り、ホテル立山のコインロッカーに荷物を預け、雪の大谷の散策をする。観光客で賑わっていました。今年の高さは14Mだそうです。
16:00 アルペンルートのバスに乗り立山に向かう。バス乗り場は長蛇の列でしたが、私達はWEBでバスの予約をしていたので、15分前に行けば大丈夫でした。
その後、電車を乗り継ぎ、富山から東京に無事帰京。
思いもかけない悪天候で、天気の心配、日程の変更、切符の再手配などでリーダーは大変だったと思います。
帰京後、3日~4日にかけて、各地で山の遭難事故がたくさん起きたことを知り、心が痛みました。
私たちもあの時、行くべきではなかったのか?色々と考えさせられる貴重な体験をしました。
福井(記)